第8回 木鶏会 職員の感想文紹介 テーマ「20代をどう生きるか」について

今回の木鶏会の中で「20代をどう生きるか」というテーマも学びました。

当園は20代の職員が多いです。だからこそ、このテーマを学ぶ意義は大変大きいです。

そこで、2人の先生の感想文を紹介します。

まずは、ある20代の先生の感想文です。

記事を読んで、真剣に自分を見つめ直し、今後の自分の心がけることについて確たる覚悟が垣間見られます。

同時に、常日頃の保育においても真摯に向き合っているのだなと感じさせられます。以下の通りです。

「20代~」の記事を読み、「私の後ろ姿を見て、これはええと思うことは大いに真似しなさい。よくないと思うたら、それを自分の反省の材料にしたらええ。」と著者が言っていました。“人の背中を見て育て”とは聞いたことがあっても、私自身、保育者として子どもの手本でないといけないですが、著者と同じことが言える程、人として社会人としてちゃんと出来ているのかと見つめ直そうと感じました。また、その中で著者がしていることは、人によって態度を変えない、挨拶、返事と当たり前のことでした。ですが、大人になっても正直、自分の気分や忙しいなどを理由に、態度が悪くなったり、子どもに対する声掛けがおろそかになったりしているなと反省し、今後は、自分を見て子どもたちが意識できるくらいの行動や言葉遣いを心掛けていこうと思いました。

もう一つ記事の言葉の中で、「和を以て貴しと為す」とのことわざがあり、私たち保育現場や職場でもこの言葉を大切にしていきたいと感じました。たとえ失敗などがあってもあまり怒らず、認め合い、協調し合い、しっかりと話し合う、和を大切にするという言葉の意味で、職場の環境がよいと、それは子どもたちに伝わると思うので、一人ひとりが意識出来るように、まずは自分から変われるよう意識していこうと思います。

もう1つの感想文は、20代を終え、子育ても一段落した先輩職員です。

ご自分の経験もふまえて、今の20代の先生方へ力強い応援メッセージが込められています。

 私の二十代は、気持ちを切り替える術を知り、学ぶことの大切さを痛感し、何より支えてくれたたくさんの人への感謝でいっぱいだった。

 教師一年目。いい先生になりたかった。が、思い描いていたものとかけ離れた毎日。技量がないから怒ることしかできなかった。上手くいかないことを人に相談するのが恥ずかしかった。ある日とうとう、給食の準備中だったが、教室を出て保健室に駆け込んだ。ひとしきり泣いて教室に戻ると、子どもたちは給食を食べていた。その光景を目の当たりにし、はー…こんな感じなんだ…と、肩の力が抜けた。

 私は自分がいい先生とよばれたいがために、去勢を張って子どもを手なづけようとしていたんだ。いい子(=自分にとって都合のいい子)以外は、感情的になって怒る始末、最悪だ。自分が子どもだったらそんな先生はいらないわ、と思え笑えてもきた。

 その日から恥も外聞もなくし、周りの先輩方に教えを乞い、倣い、日々学んだ。子どもたちと目線を合わせ、耳を傾けることができるように、身の丈で、心開き、挨拶と感謝の気持ちを持つことを大切にした。自分の気持ちに余裕ができると怒ることもなくなった。一人ひとりを大切に思えるようになった。いつしかみんな同じ方向を向いて過ごせるようになっていた。

中略)

 年月が経ち、歳を重ねた私にできることは何かを考えた時、今度は私が誰かを支える番がきたのだと思った。職場の一助となるべく日々努力することだと。

 二十代といえばまさに我が子たちや先生方の年代。人生の中でも大きな選択をしなければならない年代だ。だからこそ日々を学びと捉え、素直に謙虚に、そして志高くあってほしいと思う。一人で抱え込まず、周りの人に頼ることも大事にしてほしいと思う。どうか実りある二十代を、と願ってやまない。

 20代の頃の赤裸々な体験談を踏まえながら、今の20代の先生方に、社会の荒波にさらされても、力強く生きてほしいという熱い思いが込められています。

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